更新日:2016年04月08日
秋川牧園の挑戦のはじまり
皆さん、こんにちは!
秋川牧園の社長の秋川正と申します。
今日は私たちのホームページをご訪問いただいて、どうもありがとうございます。
さて、私の祖父、初代秋川房太郎が昭和初期に、中国に広大な総合農園を開いたときから、秋川牧園はいつも理想の食と農業のことばかりを考えてきました。
私の父、秋川実(現会長)もその思いを引き継ぎ、山口市の仁保で創業したのが昭和47年。私はまだ6歳でしたが、理想の食、理想の農業を追求する父の背中を見て、育ってきました。
そんな私が、秋川牧園の今までの取り組みの歴史と、そして今、未来に向けてどんなことを目指しているのかを、率直にお話していきたいと思います。
健康安全な食べ物づくりを開始
秋川牧園がこの間目指してきたことは、何よりも食の健康と安全性を確立することでした。
秋川牧園がスタートした昭和47年というと、水俣病やカネミ油症事件など、いたましい公害や食品事故が大きな社会問題となっていた時代です。その数年後に使用が禁止された、AF-2という合成保存料も大量に使用されていました。
今でこそ私たち日本人は中国の食のことを批判しますが、当時の日本の状況も相当にひどかったのです。
秋川牧園の挑戦は、健康安全な卵づくりから始まっています。私の父の創業時の思いは、「1羽の鶏、1個の卵から健康で安全なものにしたい」でした。
しかし時代は大量生産の真っただ中。どこにもお手本はなく、すべてが試行錯誤の連続でした。父は山口大学で化学を専攻していたこともあり、科学的にアプローチし、技術開発を重視していきました。
生産ネットワークの広がり、産直の信頼関係
その後、生産する品目は、卵から若鶏、牛乳、お野菜、豚肉、そして冷凍加工食品へと広がっていきますが、どれも同じように、食べる人の健康を育む食の使命に従い、食の安全性を第一に進めていきました。
鶏や牛を飼う生産の現場は、すべて秋川牧園で完結するのではなく、志を共有する個人の農家の方とネットワークをつくっていったことも大きな力になりました。個人のよさを生かしつつ、会社である秋川牧園が、個人が苦手とする技術開発、飼料供給、加工、品質管理、物流などを機能分担することで、少しずつコストも落としつつ、より安全でおいしい食をつくれるようになったのです。
また、この間、全国の生活協同組合さんや食の宅配会社さんとの出会いにも恵まれました。健康な食べ物づくりは、ただ作ればよいのではなく、いかに食べていただくかが重要です。
産直の信頼関係をベースに、次々にやってくる食の安全性の問題を共に協力しながら解決、前進していくことができました。この信頼関係の重要性は、今後も変わらないでしょう。