更新日:2017年06月30日
野菜生産者・宮本さんの野菜づくり/宮本富久江さん(山口県)
梅雨も間近の6月初め、秋川牧園の野菜の生産者の一人、宮本富久江さんのもとを訪ねました。長年、秋川牧園とともに歩んできてくれた宮本さんは現在86歳。今も変わらず熱心に野菜を作っておられます。
逆境を乗り越え農地を開拓
昭和6年、下関市に生まれた宮本さんは、戦争の色が濃くなってきた昭和18年に山口市に疎開してきました。下関市では工場に動員され、食料を手に入れるのもやっとの日々でしたが、疎開してきてからは親戚の農家からたくさんのお米を分けてもらえるように。農家の豊かさを目の当たりにし、「食べ物を作りたい」という思いが芽生えたそうです。
結婚後、開拓途中で投げ出された現在の土地を買い取り、近所の方と協同して開拓。ごろごろ出てくる大きな石も、地にしっかり根付いたヒノキの根もすべて人力での撤去作業だったそう。
開拓後は食料確保のためサツマイモや麦をまず植えましたが、なんとイノシシに食べられ全滅という事態に!そこで、前の土地の持ち主が植えていた桃の栽培を始め、実がなるまでの4、5年の間は桃の木の根元でエンドウやスイカなどの野菜を育てて生計を立てることに。こうして、宮本さんの野菜づくりは始まりました。幾多の困難をたくましく乗り越えてきた宮本さんにさらなる困難が訪れたのは、昭和47年7月。「死者も出るほどの大規模な土砂崩れがあって、ここら一帯が埋まってしまったの」。
汗を流して開拓した土地が土砂で埋もれ、またいちからやり直し…それでも農業をやめようとは思わなかった宮本さん。「食料のない子供時代を過ごしてきたから、食べ物を作る農業にとても魅力を感じるの」と、おだやかながら凛とした口調で話されていました。
安心野菜を始めたきっかけ
秋川牧園との出会いは、昭和50年頃。宮本さんが近所にある秋川牧園へ卵を買いに来た時のことでした。「その時、無農薬の野菜が置いてあったので話を聞いてみると、わざわざ車で片道1時間かけて農家から買い取ってるって言うもんだから、なら近くなので私が作りますよって言ったら喜んでもらえて。それがきっかけだったね」。宮本さんのその心遣いから話は進み、今や秋川牧園にはなくてはならない存在に。現在もご家族と一緒に広い畑で野菜を作っており、秋川牧園へ出荷する商品の袋詰めを夜12時まで行っていることもあるそうです。
宮本さんと虫の攻防
宮本さんに「好きな野菜は?」と尋ねてみると「おナス♡」とニコニコしながらお返事が。特にナスのぬか漬けが大好きで、毎年ナスが採れたら漬けているそう。しかし、そんなナスにはある天敵が。テントウムシダマシというその敵は、ナスの花や実をかじりせっかく育てたナスをダメにしてしまうのです。
お話を伺っていたところ、葉っぱの上にちょうどその敵が出現!「宮本さん、ここにいますよ!」と伝えるとすかさず捕まえ、プチッと潰して駆除。取っても取っても寄りついてくる虫ですが、宮本さんは1つ1つ手で取り駆除しているそう。この敵の他にも、チョウチョの幼虫がキャベツの葉っぱを穴だらけにしてしまったり、アブラムシが葉や茎に吸い付き野菜が枯れてしまったりと、外敵はたくさん。
敵の被害を受けないように、朝夕2回行う水やりでは野菜に虫がついていないか念入りに見ているため、水やりは1回に2時間もかかるのだとか。
広い畑を歩きまわるだけでも大変なのに、毎日手塩にかけてお世話をされており、野菜のことをとても大切に思っていることが伝わってきました。
野菜を見るまなざしがとても優しい宮本さん。「自分で食べたくて」と好きな野菜を自分用に育てていたりと、野菜づくりを心から楽しんでいらっしゃるようでした。