更新日:2016年03月11日

手仕事と変わらない伝統の味。佃さんが作る佃煮/金沢錦(石川県)

石川県金沢市、NHKの朝ドラや北陸新幹線の開通に活気づいている金沢駅から、車で15分、繁華街から少し離れた場所においしい佃煮を作る「金沢錦」さんはあります。

金沢 東茶屋街

金沢市にある東茶屋街。
重要伝統的建造物群保存地区で、建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残る。ここから車で15分ほどのところに金沢錦さんがあります。

「佃」さんの作る佃煮

創業は昭和54年。佃煮屋さんにしては少し新しい印象ですが、元々は同じ金沢市内で佃煮の製造販売を行う「佃食品」の三男だった佃健三さんが新たな販路を開こうと独立した会社が「金沢錦」です。佃食品自体、「ごまかしのない」食品作りをポリシーとしていたこともありますが、そこに元来、煮炊きのウデが絶妙だったという健三さんの実力を十二分に発揮して作られた商品たちは、やがて多くの人々に支持されることになります。

釜場作業。 夏場はうだるような暑さです。

釜場作業。夏場はうだるような暑さです。

 

但し、道程は平坦ではなく、紆余曲折があったそうですが、その堅実な美味しさは評判を呼び少しずつお客さんが増えていったそうです。

 

二代目社長奮闘記

そして今から十数年前、金沢錦を牽引してきた健三さんがお亡くなりになります。悲しみに暮れる中、跡を継いだのは奥さんの真紀子さん。思い入れのある佃煮を守り続けたいと、素材の味や季節感などを大切に、社長業を務めながらも製造の現場でも第一線で働き続けました。

一番奥で作業されているのが社長の真紀子さん。

一番奥で作業されているのが社長の真紀子さん。

今ご紹介している人気の商品の多くが真紀子さんが中心に開発された商品であることからもその奮闘ぶりがよく分かります。工場内では、いちスタッフとしてスタッフと一緒になって一生懸命に作業されている真紀子さんの姿が印象的でした。

大切にする『手仕事』と変わらない『伝統の味』

金沢錦では素材の味を活かし、美味しく仕上げるため、手仕事を大切にしています。例えば、サバ味噌煮。サバが本来持つ生臭さを消すためにどうするか…。一度サバを香ばしく焼き上げた後、味噌煮にするという手間。例えば、ホタルイカの佃煮。ホタルイカの目玉は固いので食べる時に口に残らないよう一つ一つ丁寧に取り除いて炊き上げる…。

例えば、いわしふぶき煮。鰯は鮮度のいいものを箱で購入し下ごしらえから丁寧に始める…などなど、機械などではとうていできない丁寧な手仕事が各所に光ります。

サザエを貝から取り出し、肝を切り出す作業。

サザエを貝から取り出し、肝を切り出す作業。

素材一つ一つの個性に合わせ、おいしさと品質を追求した結果、手間暇かかる手仕事が残ったのは至極自然なことかもしれません。また、味付けもヤマト醤油味噌やクルメキッコーの丸大豆しょうゆ、今村造酢や村山造酢のお酢、相生ユニビオのみりん等々、素材から製法までこだわる各地の生産者のものを組み合わせ味を構築。変わらず、おいしくあり続けるための微調整はしながらも、健三さんが作っていた当時の美味しさを表現しているのだとか。

新たなる力。

淳史さんは真紀子社長の息子さん。

親子2ショット。いい写真が撮れました(^^)。 社長の真紀子さん(左)と息子の敦史さん(右)。

親子2ショット。いい写真が撮れました(^^)。社長の真紀子さん(左)と息子の敦史さん(右)。

 

東京で約20年別の仕事をしていた淳史さんが3年前にお母さんを支えるために帰郷。

いい距離で、外部の視点が持てているとおっしゃる淳史さんが社内の環境を改善。真紀子さんが大切にしてきた手仕事の部分はそのままに、その包装方法など小さな効率化をコツコツと進めているそうです。昨年、今年と石川県の地元産品のコンクールで入賞するなど、会社自体が活性化し、盛り上がっている様子が感じられました。周囲の人々にお伺いすると、最近社長の表情が柔らかくなったとのこと。息子さんという心強いパートナーを得て、守ってきたものが実を結んできたのかもしれません。金沢錦は今日も丁寧な仕事で佃煮を作っています。

秋川牧園×金沢錦

 

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